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いつか気仙沼に戻るために

幾多の困難を乗り越えて再建する丸光製麺

不安の中の光を信じて

昨年の夏、一通のメールが届いた。
 こんにちは。サポーターのE.T.です。石巻日日こども新聞と同じく、東日本大震災の後に報道で知って参加したクラウドファンディング出資先のひとつで、気仙沼が本社だった製麺所、丸光製麺さんを取材していただくことは可能でしょうか?気仙沼で唯一の製麺工場だったのです。津波で工場、家屋、顧客リストなどが全て流されてしまい、現在、岩手県一関市で操業中です。再開までにずいぶんご苦労されたのですが、いまだに苦戦が続いています。(中略)「東日本はそろそろ大丈夫だろう」と思っている人が増えているのではと懸念しています。私個人はあまりご紹介できる知りあいがなく、石巻日日こども新聞に掲載していただくことで、復興途上の企業が置かれている状況を知っていただくと同時に、丸光製麺さんの認知度が少しでも高まればと考えた次第です。
 岩手県一関市で丸光製麺を取材した。
 宮城県気仙沼市で唯一の製麺業、丸光製麺は今年で創業61年の製麺工場。現在、3代目の熊谷 茂さんが社長だ。うどん、そば、ラーメンを主に製造している。北は岩手県遠野市から、南は宮城県仙台市までの三陸海岸沿岸部を配達エリアにしていた。「気仙沼では家庭の冷蔵庫に必ず丸光さんの麵が入っている」と言われるほど地元から愛されていた。

2011年3月11日―東日本大震災の日

 その日、専務の熊谷 敬子さんは、新しい取引先へ初めて商品を納入しようと車を運転していた。
 地震が起きた。とても揺れが強かった。「自分のめまいかと思いました。こんなめまいでは死んでしまうのかと思うほどでした」と敬子さんは当時を振り返る。何度も天井に頭をぶつけた。揺れがおさまると、敬子さんは気仙沼に引き返し、全員の安全を確認して車で避難することにした。だが、途中、渋滞に巻き込まれ、このままでは避難できないと判断。車を乗り捨てた。地元の人にしかわからないような裏道の階段を20段ほど駆け上がり、振り返ると津波は階段の下まで追ってきていた。
 先に車で避難していたはずの敬子さんの義理の両親は行方が分からなかったが、3日目にヘリコプターで救助された。結果的に、家族と従業員24人は全員無事だった。

製麺所は?

 丸光製麺の本社である気仙沼工場は海から50㍍ほどの場所にあった。あの日、ビル6階分にも相当する約18㍍の津波が押し寄せた。「全壊ではなく、全流出です。全流出」と敬子さんは強調した。建物の基礎だけが残っていたそうだ。津波襲来後、自衛隊による捜索活動が続き、10日ぐらいは近づくことすらできなかった。初めて被害の全貌を目の当たりにした時は、ただただショックだった。

震災後の日々

 しかし、敬子さんは、震災後2日目に工場の再建を決めた。「ただ決めました。両親の行方もわからないのにと反対する意見もありましたが、とにかく目標を立てて不安の中の光にしなければという思いがありました」。
 あの時に決めてよかったと敬子さんは言う。しかし、再建を決めたものの、不自由な生活は続いた。不安だった。
 さらに、試練が訪れる。本社の場所が水産特区になってしまったのだ。別の土地を探さなければなくなった。できるだけ近くで再建したかったが、水道も通っていない山奥に行かないと土地はみつからなかった。散々探した結果、震災の2カ月前に廃業した一関市の元農協系牛乳工場を見つけた。気仙沼から40㌔も離れていたが、食品工場としての設備が整っていたため、最小限のコストでリフォームし、使用できると判断した。

転機

 再建を決めたもののどうすればよいのか分からず悩んでいた敬子さんのもとにあるきっかけが訪れた。宮城県から紹介されたミュージックセキュリティーズ社の「被災地応援ファンド」だ。このファンドは震災から立ち上がる事業者を応援するもの。出資者は応援したい企業を選び、長期的に関わって復興を見届けていく。その頃、ファンドが何かも、その仕組みを説明されてもよく理解できなかったが、失うものはもうないし、一期生として参加することを決めた。テレビに出演したり、講演をしたりして苦戦しながらもお金を集めた。「全国各地で合計158回も講演をしました。知名度の低い会社がお金を集めるのはすごく大変でしたが、約900人が出資し、目標の8000万円が集まりました」。出資者のみなさんは、出資しただけでなく、イベントを開いてくれたり、商品を買ってくれたり、一緒になって応援してくれた。
 
8年後の今

 年商は震災前の1億5千万円から4千万円に減ってしまった。震災前の取引先を280件も失った。そのうち8割は再建をあきらめてしまったという。政府の雇用助成金も終了した。大手のスーパーや商店と違い、家族経営の商店や工場は、まだまだ非常に厳しい状況だ。
 震災前は日配商品を8割、ギフト商品を2割ぐらいで販売していたが、現在ではほぼ比率が逆転している。敬子さんはこの比率を一刻も早く震災前の数字に戻したいと願っている。
 気仙沼には形のあるものはもう何も残っていないけれど、本社として住所は残してある。いつか気仙沼に戻りたいという強い決意を込めて。

【取材・文】
松林 拓希(石巻好文館高校2年生)
村松 鈴音(石巻高校2年生)
【写真提供】
株式会社丸光製麺

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丸光製麺一関工場
問:0191-61-1022(平日10:00-16:00)
住所:岩手県一関市藤沢町藤沢字榴114-92
ホームページ:http://marumitsu-seimen.com/