東日本大震災を乗り越えて
たくましく生きる雄勝のひとたち
2011年の東日本大震災の時、雄勝地区には約4,300人が住んでいた。震災で大きな被害を受け、今、人口は1,000人より少なくなっている。
スター1
名振浜の漁師 大和 恵一郎さん
漁師になったのは?「そこに海があったから」
大和 恵一郎さんは雄勝の名振浜で定置網漁の仕事をしている。定置網漁とは、海に網をずっとしずめたままにしておいて、魚が網の中に入るとどんどん奥に進むように仕組まれていて、毎日、一番奥の網だけを上げて魚をとる方法だ。4月から12月がシーズン。夏は、カツオ一本釣りのエサに使われるイワシをとっている。イワシは生きたままカツオ船に売るそうだ。「カツオの一本釣りは、えさのイワシが生きていなければだめなんですよ」と教えてくれたのは奥さんの千恵さんだ。定置網漁では、季節によっていろいろな魚が入るが、マグロやサメ、なんとクジラが入っていたこともあるそうだ。「クジラは大きいので水揚げするときにクレーン車やトラックを手配したり、1頭ごとにDNA登録が必要だったり。手続きも大変でした」と大和さん。春にはわかめの養殖もしているそうだ。
船の名前は「大恵丸」。大和さんの名前「恵一郎」にある「恵」という字は、おじいさんの「恵吾」さん、ひいおじいさんの「恵二」さん、と代々名前にもっているものだ。だから、船の名前にもある。大和さんのお父さんはおこさんなのではないけれど、奥さんの千恵さんにはある。「でも、それで選ばれたわけではないです」と千恵さんは笑っていた。
大和さんは石巻市立船越小学校を卒業した。東日本大震災前、雄勝地域には3つの小学校があったが、震災後、雄勝地域の人口は4分の1に減り、少子化も進んだため、船越小学校は2013年に閉校した。今、雄勝地区の小学校は雄勝小学校ひとつだけだ。
東日本大震災の日、大和さんは、千恵さんの妊娠がわかり、東松島市の病院で診察を受けていた。数日後、なんとか雄勝に戻ってくることができた。「出発した時とは一変し、映画で見る荒れ果てた戦場のように、色のない町になっていました。でも、男の人たちが山から水をひいてくれたし、プロパンガスを使って料理もしました。」雄勝のみなさんは平時から大型の冷凍庫を自宅にもっていて、食材をたくわえていて、停電して冷凍庫で保存できなくなるから、と大変ななかでもみんなにお刺身をふるまってくれたりしたそうだ。漁師という人たちの生きる力はすごい、災害があっても本当に強い、と千恵さんは感動したという。被災から1年もたたずに仕事を再開したパワーにも驚かされた。
大和さんは、魚を食べた人がおいしいと言ってくれる時、漁師になってよかったと思う。どうして漁師になったのか聞いてみると、少し困って、「そこに海があったので…」と答えてくれた。みんながあこがれる漁師になりたい。でも、漁師でなかったら、陶芸家とか、切り絵や書道など何かをつくる仕事をやってみたいと話していた。

スター2
おがつスターズ代表 山下 恵美さん
「雄勝の女の人たち」もがんばってます!
「おがつスターズ」は、雄勝の食材で料理をつくって販売し、雄勝の食文化を残し、地域の外のみなさんに知ってもらう活動をしている。代表の山下 恵美さんに聞くと、「名前の由来は『雄勝のおなごすたぁ(女の人たち)』です。『雄勝のスターたちという意味ではないです。自分で言うのは変でしょう?』と笑う。「また雄勝に来てほしい」という思いを込めて料理をつくっている。自慢は新鮮なホタテ料理。「いろんな料理の仕方がありますが、やっぱり、新鮮なホタテは生で食べるのが一番おいしいです」と言う。お弁当のおすすめメニューは、大きなほたてがどんとのっている「ホタテごはん」。最近は温暖化の影響で、昔のような食材がとれなくなってきたことをとても心配していた。

スター3
壁画美術館
防潮堤に描かれた雄勝の風景
東日本大震災後、雄勝地区には海岸線3キロにわたり9メートルの防潮堤が建てられた。その壁面に描かれた絵をぜひ見てほしい。大和 恵一郎さんが住む名振浜の壁画は「名振のおめつき」。250年ほど前、大きな火事が起きた時に、もう火事が起きないようにと願いを込めて毎年1月24日に行われるお祭りの絵だ。残念なことに「おめつき」は2020年以降、神事のみになっている。壁画の前にある大きな松の木は、伊達政宗も訪れたという家の庭にあったもの。家は津波で流されてしまったけれど、松は残っている。

【取材】石垣 颯馬(赤井小学校5年生)、齋藤 梛(鹿妻小学校5年生)、千葉 倖史(蛇田小学校5年生)

