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今、あの日を振り返る 屋根から船へ、船から船へ

 今年で東日本大震災から10年目。私は震災当時、2歳。ヘリコプターで救助されたと聞いているが、全く覚えていない。今、東日本大震災の被災地では、私のように、震災を知らない子どもたちが多くなっている。そこで、あの震災を経験した人たちを取材し伝えたいと考えている。今回は、屋根の上に乗ったまま沖まで流され、奇跡的に生還した小野寺武則さんにお話を伺った。
 その日は、1歳の孫が遊びに来ていた。朝から天気がよかったので、車で浜に連れて行った。帰ってきて一息ついたときに地震がおきた。津波警報が発令され、奥さんと孫は山に避難したが小野寺さんは逃げ遅れてしまった。自宅の屋根に避難したまま、桐ヶ崎沖まで流された。
 近くに1隻の無人の小さな機械室のある船があった。屋根から約1メートルほどだったので飛び乗った。「服は濡れてしまいましたが、船に乗ったというだけで、屋根の上より安心感がありました」と小野寺さんは振り返る。
 雪が降っていたので機械室に入っていた。ラジオをずっと聞いていたが、恐ろしいことばかりが聞こえてきた。雪が止んだので機械室から出てみると、今の船よりも大きな船が隣にピッタリくっついていた。ためらわずに乗り移った。エンジンにはキーがついており、燃料も入っていたが周りはガレキだらけ。ここでスクリューを回してしまうとロープなどが絡まって動けなくなってしまうため、待つことにした。救命胴衣があったので着用し、真っ暗になるまで海の流れに身を任せていると、さらに沖まで流された。
 遠くに、津波から逃げてきた船が30隻ほど見えてきた。サーチライトが行ったり来たりして、小野寺さんの乗っている船に当たり始めた。救命胴衣についていた笛を吹いたが、全く届かなかった。だんだんとライトが通り過ぎていく。必死になって救命胴衣を振った。「もうだめか…」と思ったころ、一隻の船が近づいてきた。なんとその船には知人が乗っていた。小野寺さんは、その船に乗り移った瞬間、安心して動けなくなったという。
 その日の夜空は見たこともないくらい星がきれいに輝いていた。「実は自分は死んでいるのではないかと思うぐらい美しい夜空でした」と小野寺さんは言う。一晩を船で過ごし、夜明けとともに野々浜で船を降りた。
 途中まで歩いていたが、偶然通りかかった車に乗せてもらい、女川まで帰ることができた。「午前10時ごろだったと思います。女川の町は、昨日の同じ時間に見た風景と全く違っていました」と小野寺さんはその時のことを表現した。


津波で沖に流されてから町に戻るまで

 昨日別れてしまった奥さんと孫を探すため、避難所に向かった。多くの知り合いに声をかけられた。皆、小野寺さんが屋根の上に乗ったまま流されていることを見ていたので、とても驚いていた。
 避難所で、奥さんとお孫さんに無事会えた。奥さんの晶子さんは、「とにかくびっくりしました」と話していた。小野寺さんは船の上でいろいろな人にたくさんの話を聞いたが、「ほぼ8割方がデマ情報だったと思います。うわさは怖いですね」と話してくれた。

取材・文
村松 玲里
(蛇田中学校1年)