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あの日の妊婦さん みんなで繋いだひとつの苗

2018年のある日(右から)佐藤好さん、沙苗ちゃん、啓くん、村松記者

 2011年3月13日、東日本大震災の被災地にある石巻赤十字病院でひとつの命が誕生した。赤ちゃんの名前は沙苗ちゃん。沙苗ちゃんは、震災のさなか、熊本県防災消防航空隊「ひばり」の隊員のみなさんをはじめ、多く人々に助けられ、生まれた。
3月11日、早苗ちゃんの母、佐藤好さんは出産予定日を21日に控えていて、石巻市内の病院で検診を終え、同じく出産のため里帰りしていた姉と甥、姪とともに市内の実家にいた。そのとき、東日本大震災は起こった。佐藤さんは、もともと出産に備えて用意してあったバッグを背負い、すぐに車で避難したが、途中から大渋滞。車を乗り捨てて走り、津波を逃れて山の近くまで逃げた。そこには車が1台あった。持ち主の厚意によりその日は車の中で一晩過ごした。
 次の日、実家に戻ってみると、家は全壊していた。近所の知り合いの家に避難し、13日へと日付が変わるころ、だんだん佐藤さんのお腹が張ってきて陣痛が始まった。明け方、近くの鹿妻小学校に移り、保健室でベッドを用意してもらうことができた。たまたま避難していた助産士、看護師のみなさんに出産準備をしてもらっていたときのこと、小学校に救助の手が差し伸べられた。熊本県防災消防航空隊のヘリコプターがやってきたのだ。佐藤さんは石巻赤十字病院に運ばれた。
 しかし、病院には佐藤さんのように出産を待つ妊婦が大勢いて、順番が来るまでいすに座って待たなければならなかった。「出産はスムーズに終わったほうだったと思います。避難する際に走ったのが安産につながったようですよ」と佐藤さんは話す。石巻赤十字病院での入院期間は出産した日を含めて3日間。本来出産予定だった病院では1週間入院すると聞いていた佐藤さんは、「退院後、この子を連れてどうすればいいんだろう」と不安でいっぱいだった。
 退院の日、埼玉の親戚が迎えに来た。高速道路は、緊急車両最優先で、一般車両は通行止め。普通なら5時間程度で着く距離を10時間以上かけて向かった。埼玉に近づくにつれ、だんだん明かりが増え、途中店に寄ると品数も増えていった。
 埼玉で半年間生活した。初めての出産と慣れない土地での子育てには不安もいっぱいあった。しかしそれ以上に、両親を被災地に残してきたことが心配だった。余震があるたび、両親は、石巻は大丈夫なのか不安でたまらなかった。自分は普通に生活できているけれど、被災地で不便な思いをしている人がたくさんいるということに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうだ。
  * * *
 それから5年後のある日、救助されたときヘリコプターの天井に書いてあった「熊本消防」の文字を覚えていた佐藤さんは、感謝の気持ちを伝えるために熊本消防にメールを送った。返事は期待していなかった。救助隊の方も忙しいだろうと思い、自分たちの気持ちだけでも伝えられればいいと思ったのだ。だから、返事が来たときはとてもうれしかったそうだ。「当時、救助してくださった隊員の一人、西村澄生さんが、私が鹿妻小学校から救助した妊婦だと覚えていてくれました。もし天井の文字を見ていなかったらずっと分からないまま感謝を伝えることができませんでした」と佐藤さんは当時の喜びを語ってくれた。
 あの時生まれた沙苗ちゃんは、今年度、小学校1年生になった。弟の啓くんも生まれ、立派なお姉さんに成長した。佐藤さんは震災のことをよく沙苗ちゃんに話すそうだが、当時のことはもちろん覚えてない。最初は、「ママ、ヘリコプターに乗ったなんてうらやましい」とヘリコプターへの関心が大きかった沙苗ちゃんだが、最近は、「私はそのときに生まれたんだよね」と聞いてくることもある。
 「もともと『華』という名前をつける予定でした」。でも、震災を経験して考えが変わったそうだ。花を咲かせる前には苗が必要。震災によって何もかもゼロになってしまったけれど、苗があれば花が咲く。「沙苗はたくさんの人に助けられて生まれてきた子だから、だれかのために花を咲かせる力になってほしいと思っています」。佐藤さんは、いつか沙苗ちゃんが自分の名前の由来を聞いてきたら、しっかり話すつもりだ。
 佐藤さんは子どものころ、地震が起きたら津波が来ると教えてもらった記憶がないという。高盛土道路や防潮堤の整備ももちろん大切だが、あくまで避難の時間を稼ぐだけのものであって、命を守るのは自分自身。一人一人の津波に対する心構えが大事と佐藤さんは考えている。
 そして、もう一つ大切なのは、近所のコミュニケーションだと佐藤さんは言う。「近所に足が不自由なおばあちゃんが住んでいたので、地震が起きてすぐ、父とともに、動けないおばあちゃんをおぶって避難しました」。地域のつながりがあれば助けられる命がきっとある。復興公営住宅や仮設住宅など、新しいコミュニティーで生活する人たちは、新たに地域の人との関係を築いていかなければならない。大変なことではあるが大切なことだ。「東日本大震災で学んだことを、これから未来を作っていく子どもたちに伝えていくことが私たち震災経験者の使命だと思います」と佐藤さんは話してくれた。

【取材・文】村松 鈴音(石巻高校1年生)