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石巻を応援する3人に伺いました さとう宗幸さん 3月11日の星空を忘れない

さとう宗幸さん(右)と松林拓希記者

 2013年8月13日、ミヤギテレビ本社(仙台市宮城野区)で、歌手のさとう宗幸さんを取材した。
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 さとう宗幸さんが歌手になったのは大学生のころ。最初は喫茶店で歌ったりしていた。「OH!バンデス」という番組(ミヤギテレビ)が新しく始まることになり、司会の依頼が来てしばらく考えた。毎日の番組なので、歌手の活動が損なわれると思い、一度断った。でも、どうしてもと言われ、宮城県のいろいろなところに足をはこばせてくれるなら、とやってみることにした。「3年はがんばって」と番組のプロデューサーに言われて、「毎日の番組を3年間はたいへんだ」と思ったけれど、宮城県にもまだまだ知らないところがあると気づかされたり、いろいろな人との出会いがあったりしたので、結果、19年続けることができた。
 震災があった2011年3月11日の午後2時46分に何をしていたか聞いてみた。「ミヤギテレビに行く途中の国道45号線で運転中でした。緊急地震速報がなったので車を止めた瞬間に、地震が来ました」。車は4つのタイヤ上に乗っているから、けっこう揺れが大きかった。100万都市の仙台で、全てのものが音を出していた。「今まで聞いたことがないような音が耳に入って来て怖かったです」。
 「花は咲く」(復興支援ソング)に参加したのは、NHKから、岩手・宮城・福島のアーティストたちで支援ソングを作りたいということで、断る理由は何もないと思って引き受けた。「花は咲く」の歌詞で好きなところは、「誰かの歌が聞こえる、誰かを励ましてる、誰かの笑顔が見える、悲しみの向こう側に」というところ。特に、「誰かの歌が聞こえる」というところを聞くたびに、3月11日の星空の美しさを思い出す。
 「東日本大震災」という呼び方にこだわりをもっている。国が決めた呼び方だから、この名前が歴史として残って行くけれど、2万人近くの人が亡くなって、10万人以上の人がふるさとに帰れないのに、この名前で良いのか、津波、原発を付け加えなければならないのではないかと思うそうだ。だから、震災のことを話す時は「東日本津波原発大震災」と言うようにしている。
 避難所から最後の人がでることが復興の第一歩で、仮設住宅から最後の人が自立することが、ふるさと再生の第一歩だとさとうさんは言っていた。「これは気の遠くなる話です」。

取材・文:松林 拓希(蛇田小学校6年生)