宮城県多賀城高校 災害科学科
宮城県内の東日本大震災による被災15市町にあるポケモンマンホール「ポケふた」と、その地の震災遺構を特集する「ポケふたと震災遺構」は、第35号(2020年9月11日発行)からスタートしました。第11回目となる今回は、最終回として、5つの市町を特集でご紹介します。
多賀城高校災害科学科は、平成28年4月、東日本大震災発生から5年後に、宮城県初の防災系専門学科として誕生した。全国では、兵庫県立舞子高校の環境防災科に続いて2例目となる。大震災から学んだ教訓を確実に伝承し、将来、国内外で発生する災害から、多くの命とくらしを守る人材を育成するために設置された。自然災害・防災・減災・伝承を科学的に捉え、過去のできごととしてではなく、未来に成すべきこととつなげる学びを行っている。
2023年1月20日~21日、同校では「東日本大震災メモリアルday 2022」(主催:多賀城高校)が行われ、県内外から18校、47人の生徒たちが一堂に介し、日頃の学習の成果を発表し、意見交換した。
多賀城高校災害科学科の岡本 隆宏さんと鐡 勇人さんのグループでは、「JR仙石線を利用する方の安全を守るために」というテーマで、鉄道乗車時の災害の対処法を調べた。災害時における電車の課題として、避難方法を把握し、周りの指標となれる率先避難者が少ないこと、避難所のマップが分かりづらいことを課題にあげた。対策として、率先避難者になるための知識を身につけられる動画、一目でわかる避難所の一覧の作成などを行っていきたいと考えているそうだ。
避難マップの課題をあげていた発表者は他にもいた。全国で初めて災害系学科を設立した兵庫県立舞子高校環境防災科の中西 剛徳さんだ。中西さんは立体地図を作成すれば、触って分かるようになると考えている。
実際、昨年の夏には気仙沼市に訪れ、調査の上、立体地図を作成し、発表に使った。高さごとに色分けされてあり、製作には1週間かかったそうだ。中西さんは、この地図を完成と考えず、神戸、兵庫、そして全国の立体地図を作成し、人と人とをつなげる手助けをしたいと話していた。
多賀城高校の大場 琉唯さんは、昨年から水の流れを継続して研究し、岩石や水の流れ、流れの速さの数値化などを行なった。また、今年はダムの調査などを行なったそうだが、まだ調査が足りない点、伝えられなかった点があるそうで、次の発表に向けてまとめていきたいと話していた。
21日の発表終了後、防災指導員の認定を受けている多賀城高校の生徒のみなさんが語り部となり、説明を聞きながらの「まち歩き」が行なわれた。これは、多賀城高校が設置した「津波波高標識」を目印に沿岸部から多賀城駅までの約1・5㌔を歩いて回るもので、国土交通省と県や仙台市で組織する「震災伝承ネットワーク協議会」にも「3・11伝承ロード震災伝承施設」として登録されているそうだ。
「多賀城柵」として11世紀ごろまで、東北の政治・軍事の拠点であったとされる多賀城市には、歴史的なモニュメントも残っていて、コースの途中には、百人一首に収められている清少納言の父、清原元輔(908―990)の歌に登場する「末の松山」がある。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
これは、869年の貞観地震による津波のときの様子をうたったものだそうで、「涙を流しながら約束しましたよね。末の松山が波を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。それなのに…」という意味だそう。恋愛の歌ではあるが、同時に貞観地震による津波が末の松山を越えることはなかった、ということも伝えている。
過去の記録としての震災遺構ではなく、未来に向けて進行する多賀城高校の取り組みに今後も注目したい。
取材・文・写真
阿部 匠之介(渡波中学校3年生)
阿部 壮汰(渡波小学校4年生)