10年越しの7枚目
今年で東日本大震災から10年目。私は震災当時、2歳。ヘリコプターで救助されたと聞いているが、全く覚えていない。今、東日本大震災の被災地では、私のように、震災を知らない子どもたちがほとんどだ。そこで、あの震災を経験した人たちを取材し伝えたいと考えている。今回は、今年3月12日、「7枚目の壁新聞」を書いた石巻日日新聞社の熊谷利勝さんにお話を伺った。
熊谷さんは震災当時、東松島市の市役所にいた。会社に戻る途中に津波にのまれてしまい、翌日、ヘリコプターに救助されて、一命を取り留めた。その後、丸一日入院した後、退院することができた。熊谷さんにとって震災とは「何もかもが変わってしまったできごと」だという。
今年の3月12日に「7枚目の壁新聞」を制作した。石巻日日新聞社は、東日本大震災の後、停電で新聞の印刷ができなかったため、手書きの壁新聞を6日間発行した。震災から10年が過ぎ、忘れられ始めたと思い、6枚目の続きを書くことにした。
10年前、退院した後、出社できない日が続く中、石巻日日新聞社が壁新聞を作っているという話を聞いた。「それしかできないのか」と悔しかったことを思い出したそうだ。でも、書いてみると、想像していたより、意外と難しい。特に、文字数と文字の大きさのバランスが難しかった。
「正しい情報で行動を!」をサブタイトルにした。それは、10年前の紙面のサブタイトルでもあった。新聞記者として最も伝えたいことだ。
今の石巻は10年前に比べて、いろいろなものができて、前よりも住みやすくなった。「発展していく石巻を、新聞記者という立場で、文字や写真で記録したいと思います」と話す。そして、このような大規模な地震や津波が来た時に、犠牲者を少なくしていくためには、油断せずに、災害について想像力を持つことが大切だと考えている。
「震災から10年は、あっという間でした。でも、数字には意味がなく、10年は通過点だと思っています」と言っていた。
▲正確な情報で行動を!
コンビニに張り出した壁新聞とそれを読む人たち
取材・文
村松 玲里
(蛇田中学校1年生)