2011年3月20日、ヘリコプターで救出される阿部さん。凍傷のため足が保護されている。撮影した石巻日日新聞社の秋山裕宏記者(当時)は、「生きていてほしい、と祈る思いで日和山に駆けつけ撮影しました。遠くからも生存が確認でき、夢中でシャッターを切りました」と話していた
人生を変えた9日間 阿部 任さん
今年で東日本大震災から10年。私は当時2歳。ヘリコプターで救助されたと聞いているが、全く覚えていない。今、東北の被災地では、私のように震災を知らない子どもたちが多くなってきた。そこで、あの震災を経験した人たちを取材し伝えたいと考え、今回は、震災発生から9日間、祖母とともに家の中に閉じ込められた経験をもつ阿部 任さんにお話を伺った。
仙台に住んでいた阿部さんは、2011年3月11日、石巻市門脇町にある祖父母の家に来ていた。家には、阿部さんと祖母の2人しかいなかった。
大きな地震が起きたが、阿部さんと祖母はすぐに逃げなかった。そして津波が到達し、あっという間に家に閉じ込められたと気がついた時には、頭の中が真っ白になった。「なにも考えることができなくなりました」。
外の様子も、いつまでその状態が続くのかもわからずとても心配だった。「それでも、2人でいたからこそ、祖母も僕も頑張れました」と阿部さんは言う。
幸い、閉じ込められた場所に冷蔵庫があり、水やお菓子が入っていたため、それを食べたり飲んだりしていた。足に釘が刺さっていたが、痛いとは思わなかった。しかし、6日目ごろから足の感覚がなく、凍傷になってしまった。
3月20日、2人はヘリコプターで救助された。阿部さんはその時、「よかった!」と思うと同時に、申し訳ないという後悔の気持ちでいっぱいだった。「地震の後にすぐ逃げていれば、こんなことにはなりませんでした」
自分の失敗で多くの人に迷惑をかけてしまった、と思った。
でも、人々は「奇跡的」と喜んで迎えてくれた。そして、家族と再会したとき、9日間という長い間、生きているかどうかもわからなかったので、会えて本当にうれしかったという。
救出後は1カ月ほど病院に入院。治療にあたった医師から、「あと1日遅かったら足がなかったと思いますよ」と言われた。
今、阿部さんは、地元の企業で働きながら、東日本大震災の語り部活動をしている。自分が逃げなかったために、みんなに迷惑をかけてしまったことを後悔した阿部さんは、お世話になった方々に恩返しするにはどのようにすればよいかを考えた。そして、震災を決して忘れないために何かしたいと思い、語り部の活動している。
「震災がなかったら、この活動に携わることはありませんでしたし、今、石巻にも残っていなかったと思います。あの経験があったから、地元のよさを知ろうとすることができました」と阿部さんは語る。
あの時、共に救出された祖母は90歳を超えて元気だそうだ。
取材・文
布施 まどか
村松 玲里
(蛇田中学校1年)