今年で東日本大震災から11年目。私は震災当時、2歳。ヘリコプターで救助されたと聞いているが、全く覚えていない。今、東日本大震災の被災地では、私のように、震災を知らない子どもたちがほとんどだ。そこであの震災を経験した人たちを取材し伝えたいと考えている。今回は、石巻出身のプロスケルトン選手、木下凜さん(仙台大学3年生)にお話を聞いた。
木下さんは震災当時小学3年生。地震がきたのは、下校しようと校門を出たときだった。児童たちは先生の指示に従い校庭の真ん中に避難した。その後、母親が迎えに来て家の近くにあるホームセンターの屋上に避難した。津波が到達するのを見ているしかなかった。
津波が引いた翌日以降は、子どもから見ても、みんなで助け合わなければいけないような状況だった。水をくんできたり、食料を取りに行ったり、屋上に避難していた子どもたちは、幼いなりに自分ができることを一生懸命探していた。
当時9歳の木下さんは、自分より小さな子どもたちの面倒を見なければいけないと考え、年少のいとこたちとホームセンターにあった土や肥料が入った袋で文字を作って遊んでいた。すると大人たちが「それはいい考えだ!」と触発され、SOSの文字を作ることになった。ヘリコプターや自衛隊に気づいてもらえることをひたすら願った。
木下さんは現在スケルトンの選手として活動している。スケルトンとは、そりのようなものに頭を前にしてうつ伏せに乗り、氷の上を滑りタイムで競うスポーツだ。スケルトンに似たボブスレーやリュージュという競技もある。
木下さんは、震災がなければスケルトンに出会わなかった、と断言する。小学6年生の時、ソフトバンクの孫正義社長が、復興支援のために、小学生を対象にしたスポーツの体験会「みやぎジュニアトップアスリートアカデミー」を開いてくれた。木下さんはその1期生としてスケルトンを体験した。「それは本当にとても楽しく、もっともっとやってみたいと思いました」。中学1年生から本格的に始めた。
木下さんにとってスケルトンの魅力はずばり「スピード」。130キロ以上出るそうだ。「0・01秒単位での争いです。海外の選手は日本人と体格が違いスピードが出ます。世界で戦える選手になりたいです」。
スケルトン選手として取材を受けることも多くなった。震災のことを伝えることは自分の役割の一つ、と話す。「普段から津波に対して意識を持つということは難しいですが、大丈夫だろうという気持ちだけは持たないでほしいです」と木下さんは言う。「オリンピックで金メダルを取ることが、全ての皆さんへの恩返しです。今、絶対に勝てるという自信があります」。木下さんはすでに4年後のオリンピックに目標を定めている。
取材・文
村松 玲里(蛇田中学校2年)