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仲間と一緒にバスケがしたかった!

青葉中のバスケットボール部はこうして消えていった

 

部活動が一つの学校で維持できなくなっている。僕が卒業した釜小学校は青葉中学校の学区だけれど、他の中学校を選ぶ決断をした友達もいる。その理由について、みなさんに知ってもらいたい。

僕はこの春小学校を卒業するまで、釜ミニバスケットボールスポーツ少年団(以下、「釜ミニバス」)に所属していた。この話のはじまりは昨年6月、釜小学校の卒業生が入学することになる青葉中学校で、バスケットボール部の廃部が検討されていると聞いたことだった。
夏休みに入る前、釜ミニバス6年生の保護者が、青葉中に「バスケ部を廃部にしないでほしい」とお願いした。でも、夏休み、青葉中の会議で、バスケットボール部の廃部が正式に決まった。
その理由は3つある。1つ目は、生徒が減少しているため、部活動の数を減らさなければならないこと。東日本大震災や少子化の影響で、青葉中の生徒数は、2018年度の222人から、2020年度は197人になり、年々減少傾向にある。
2つ目は、教員が足りないこと。震災の支援対策で配置されていた支援教員が、令和2年度以降継続されるかどうかがわからない事情があった。
そして3つ目。青葉中には2大会連続、中総体、新人戦で、単独では定員に満たず、他校との合同チームだった場合は、廃部を検討するという規則があったのだ。昨年度、青葉中バスケ部は男子1人、女子1人しかいなかったので、中総体、新人戦が他校との合同チーム出場になっていた。
決定を受けて、8月末に再度、保護者が青葉中と話し合いをしたが、残念ながら、バスケ部の廃部は変わらなかった。それでも僕たちは大好きなバスケがしたかった。9月の修学旅行が終わって、学校に帰って来た時、釜小の校長先生にも「青葉中のバスケ部を続行してほしい」とお願いした。さらに10月、青葉中の校長先生と教育委員会に「僕たちはこれまで5人でバスケットを続けてきた。これからも青葉中でこの仲間と一緒に続けたい。バスケットはチームスポーツ。一人ではできない」と手紙で想いを伝えた。
それでも、決定は変わらなかった。そして、釜ミニバス6年生5人のうち、3人がバスケットボール部のある隣学区の蛇田中学校に入学することを決意した。僕も、蛇田中に行こうかとすごく迷った。でも、友達と離れたくなかった。だけど、バスケもしたかった。
青葉中に入学して他の部活動に挑戦し3年を過ごすか、他校に入学して大好きなバスケと共に3年を過ごすか。あなただったら、どちらを選びますか?
僕はいろいろなことを踏まえた結果、青葉中に入学することにした。
これはバスケットボール部や青葉中学校だけの問題ではない。ぼくの友達には、他にも、自分の入学先の学校ではやりたい部活動ができないから、友達と離れ、他の学校を選ぶ人がいる。釜ミニバスの6年生は、5人でギリギリの人数だったが、部活動として継続できれば、他の人たちも入ってくれるかもしれないし、中総体や新人戦などの大会に出場できたかもしれなかった。
僕は運動神経が悪く、メンタルも弱く、バスケも下手だった。できなくて悔しくてたくさん泣いた。けれども試合でシュートが入った時の達成感が気持ち良くて、もっと活躍する!と燃えた心。その気持ちを分かち合える仲間と一緒にバスケができて本当に楽しかった。
青葉中の教育目標「誇れる自分が輝く学校」のとおり、本当は、大好きなバスケで力を発揮して輝いて、後輩のためにもバスケ部が続いてほしかった。みんなやる気にあふれていたのに、とても悔しい。
だけど、僕は、新たな部活に挑戦し、中学校生活を送ることに決めた。

【取材・文】
西 宏夢(青葉中学校1年生)

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