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歴史ある地域、未来へつなごう!

石巻市立湊小学校4年生
古地図探検隊

 

湊小学校 校歌
北上川の とうとうと
太平洋に 入るところ
文化輝く 石巻
栄ゆる湊 その名こそ
我らが誇る 学舎よ


石巻市湊地区は古くからの歴史のある地域だ。東日本大震災でいろいろなことが大きく変わってしまったけれど、古地図や湊小学校の校歌の歌詞に昔のことを知る手がかりがある。これからもっと変わっていくこの地域を湊小4年生全員で調べてみた。

 

古地図探検①
新たな内海橋が完成

湊から立町につながり、石ノ森萬画館のある中瀬を通るこれまでの東西の内海橋は、明治時代にできた。長い間使って壊れかけてきたので、新しい橋が必要になり、中瀬を通らない形で近くに建設した。
長さは202㍍、道路の幅は7㍍、橋の高さは6㍍。東日本大震災の教訓から前よりも高くしている。街灯は6本ある。
取材をした7月は建設工事の最後の段階で、約50人が働いていた。説明してくれた工事の人は「2カ月後に完成する予定」と話していて、9月10日から通れるようになった。
工事中は、歩く場所をたいらにしたり、道路をきれいに掃除したり、それぞれが役割分担で仕事をしていた。休みは土曜、日曜、祝日のほか大雨や雷の日、雪の日は仕事が中止になった。
新しい内海橋を作るためにかかったお金は約30億円だそうだ。古い内海橋は撤去されるが、中瀬に行くための新しい橋が歩行者用として作られている。


▲アスファルトフィニッシャーで土を引いて、土を固めていた


▲ショベルカーで軽トラックに土を入れて、橋に土を送る


▲いろんな仕事をしている人がいた。暑い中、みんな真剣だった

 

古地図探検②
680年前に親王が住んでいた!

湊には後醍醐天皇の息子の護良親王が約700年前に住んだという伝説や湊小学校の校歌に登場する「史蹟」がたくさんある。天皇陛下が住む場所を御所というが、湊には御所入と呼ばれる住所も残っている。
後醍醐天皇の一番目の息子だった護良親王が湊で亡くなって作られたのが大門崎山の「一皇子神社」だ。神社の屋根には月のマークがある。
みんなが「いづおんつぁん」と呼ぶ神社では、毎年お祭りをやっていて、焼きそばや綿あめの出店が並ぶ。幼稚園が一緒だった友だちにも会える、みんなが楽しみにしているお祭りだ。
吉野町の多福院には延元4年(1339)に建てられた吉野先帝御菩提碑がある。これは後醍醐天皇が亡くなって、悲しかったので作られた。
吉野先帝碑があるので、多福院や小学校の住所は吉野町になった。吉野は後醍醐天皇が住んだ奈良県のこと。

 


▲赤い鳥居が目印の一皇子神社。夏にはお祭りがある


▲菊の花は天皇家のマーク(多福院・吉野先帝御菩提碑)


▲御所とは天皇陛下が住む場所のこと(御所入公園)

 

古地図探検③
震災で変わった湊中周辺

東日本大震災の前、湊中学校のとなりには湊第二小学校があった。津波の直撃を受けて校舎が使えなくなったことと、引っ越す人が多くて子どもが減ったために、平成26年に湊小と一緒になった。
近くに「心ひとつ」「湊中 おかえりなさい」と書かれた自動販売機がある。津波で工場が流された水産加工会社が、かたづけを手伝ってくれたボランティアの人に飲んでもらいたくて置いた。そして、地元の復活を願う思いをこめた。
湊中のまわりは、むかしは全部田んぼで、今の国道の横にはきれいな水が流れていた。震災があっても変わらないのは山だけ。震災があった時にこの山に逃げた人が多かった。たくさんあった家は津波に流されて少なくなったけれど、最近はどんどん家が増えてきている。


▲旧湊第二小学校


▲作曲家・古関裕而は、湊小学校校歌を作曲するために湊を訪れた


▲この自動販売機にはさまざまな思いが込められている

 

 


特定非営利活動法人石巻アーカイブ刊『石巻古地図散歩』・「石巻市街全図」(昭和8年・菊田貞吾氏蔵)

 

 

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