乙武洋匡さんが石巻で伝えたかったこと
生まれつき両腕と両足がない。その身体と一緒に生きていくのはどんな感じがするものなのだろう。2月20日、石巻グランドホテルで行われた講演会に多くの人がこぞって駆けつけたのは、乙武洋匡さんの話を聞くためだ。乙武さんは生まれた時から先天性四肢欠損という障害があり、これまで電動車いすでの生活を続けてきた。スポーツライターや小学校の教師など、さまざまな経歴を持つ乙武さん。自身のことや生き方について書いた本を数多く出版している作家でもある。「五体不満足」は1998年に発売されて以来、多くの人に読み続けられている。活発にマルチに活動する乙武さん。そのエネルギーはどこから生まれてくるのだろうか。講演会が始まる前に、快く取材を受けてくれた。
今回、石巻で講演するに至ったのは、東日本大震災後、度々石巻を訪れる中で知り合った友人からの話がきっかけだった。震災からひと月たったころ、乙武さんは、何かしたいと思ったが、肉体労働ができない。ボランティアとして活動する多くの人々と自分の大きな違いに、なかなか行動に踏み出せずにいた。そんな時、物理的な手伝いではなく、思いを伝えることも大きな力になるということをその友人が教えてくれたのだ。
「講話も僕の思いを伝える手段のひとつだと気づいたんです。より多くの人に聞いてもらうことで、より多くの人を勇気づけたいと考えました」
こうして、9年前のある日出会ったのが、石巻市南浜町にある「がんばろう石巻」の大きな看板。乙武さんにとって、石巻はその日から特別な場所になった。あの時、津波で何もなくなってしまった場所に立っていた看板の周りは、公園が整備され始め、いつのまにか復興住宅が建っていた。その光景を見た時、乙武さんはあふれる涙をこらえきれなかったそうだ。
乙武さんは、今、「義足プロジェクト」に挑戦している。44年間、「歩く」ことはなかったわけだが、その挑戦をするのはなぜなのだろうか。「これまで歩くことができなかった人たちが、将来的には当たり前に歩けるようにするものを作ることに、自分も関われたらどんなにいいだろう、そう思ったのです。それに自分がスタスタ歩いているところを想像してみたら、結構インパクトがあって、なんだか笑ってしまいました」
乙武さんは義足を作り、自分が歩けるようになることで、「障害者が存在しない世の中」を作ろうとしている。その考えは、世界中を旅してみて、他の国の障害者、いわゆる社会的弱者に対する姿勢の違いを身にしみて感じた時に生まれた。日本では、障害者が努力して周りに合わせることが求められ、これを「個人モデル」という。これに対して、多くの他の国では、社会が障害者に合わせることが求められ、「社会モデル」と呼ばれているそうだ。
また、障害者が特別視されない国もあった。普通に社会で生活し、普通に働いていた。乙武さんは、日本も障害者が普通に社会と繋がれることを広めていかなければならないと感じた。「この義足プロジェクトで世の中に選択肢を増やしたいと思います。自分がどうかは別として、社会に選択肢が増えたら生きやすいね、ということです」
例えば、学校で、手が使えない子はどうやってノートをとればいいのだろうか。写真をとるのはどうだろう。でも、今の日本の学校ではそれは認められていない。人と違っている子は人と違う方法でやるしかないというのに。
例えば、地震があった時。障害者はどこにいてもすぐに逃げられるだろうか。階段があったらどうすればいい?車いすを使っている人は?エスカレーターは、電気が止まったらどうするんだろう。
今の日本の社会は健常者に合わせてできていると乙武さんは考えている。だから自分が障害のある多くの人たちの代わりに挑戦するべきなのだ、と。この挑戦は子どもたちのためでもあると乙武さんは言う。
「大人が、どれほど挑戦しているか、挑戦していないかを子どもたちはよく見ているのですよ。挑戦することを自分と周りとを比べて踏みとどまっている子どもたちに伝えたいのです。義足がメガネみたいな存在になればいいと思いませんか?」
乙武さんが強く前を向いていけるエネルギーがどう生まれてくるのか、少しわかった気がした。
▲先天性四肢欠損の乙武洋匡さんが最新鋭の義足で歩こうとする義足プロジェクト。多くの注目と賛同を集めている。(写真提供:オフィスユニーク)
「四肢奮迅」とは
乙武洋匡 講談社 2019年11月1日発行
両手両足のない乙武洋匡が歩く!2017年10月にスタートした「乙武義足プロジェクト」の全貌。その苦悩と歓喜を描いたノンフィクション作品。
【取材・文】
齋藤 小枝(石巻好文館高校2年生)