★石巻日日こども新聞第46号より★
2011年3月11日 今、あの日を振り返る⑥ 
なぜ伝えるのか 知らなければ始まらない

2025/05/11

取材したこども記者

千葉 楓真

村松 玲里

栁澤あゆみさんはNHKの記者だ。東日本大震災の時 は雄勝(石巻市)で取材中だった。当時、仙台放送局のニュース企画 「防災シリーズ」で、いずれ来ると言われていた宮城県沖地震にどう備えるのか、取材を重ね紹介していた。宮城県は防災意識が 高かったと思うが、東日本大震災の津波は想像を超えていた。家族を迎えに行ったなどで命を落としてしまったケースも多く聞いた。 逃げた方がいいとわかっていても、大切な家族を守りたくて沿岸部に向かう気持ちは理解できると感じ、発災後 、栁澤さんは、「大きな防潮堤や集団移転などのハードによって守れるものは可能な限り守るべき」と考えて いた。震災から14年たった今、その気持ちに変化はあるのか聞いた。


栁澤あゆみさん

地震発生

地震発生時 、雄勝で取材をしていた。取材相手の漁師はすぐに船を確認に行った。 ひとりになって車に乗ったが、ハンドルを握り、エンジンをかける手が震えているのに 気付き、自分が怖がっていると初めて自覚 した。なんとか唐桑まで避難し、ここは安全なのか住民に聞くと、「ここが沈んだら、雄勝全部が沈むよ。あきらめな」と言われた。 これから何が起こるのか分からない中で、津波がきたらカメラに収めなければと通常通りの仕事をこなそうとした。

津波のイメージ

それまで、津波のイメージは「波」だった。 実際には、地鳴りのようなごう音と共に水の塊が押し寄せてきて街や家を飲み込んでいくものだった。目の前で街が津波に流ながされていくのを撮った後あと 、ふとスマホを見ると圏外になっていた。「眼前で起こったことに対して衝撃があまりにも大きく、やっと繋がった衛星電話で、思わず上司に『救助してください』と言いました。すると、『東北沿岸全体がやられているんだ。雄勝だけじゃない。すぐの救助は無理。そこでちゃんと取材しなさい』と言われました。その言葉 で、自分は今、記者としてここにいて、しっかり記録しなければいけないと認識しました」と栁澤さんは話す。

取材を続ける

生まれ育ったふるさとが流されていくのを目にした人たちに、家族の安否が分からない中で、カメラを向けることには葛藤があったが、声をかけたほとんどの人が話をしてくれた。それどころか栁澤さんのことを気にかけてくれる人もいた。2日目の夕飯 は、みんなで集まって打ち上げられていた 養殖のホタテや銀鮭を焼いて食べた。今思えばとても豪華な食事だった。がれきで塞がれた雄勝の道を通そうと、住民がそれぞれ自分の職業を生かし何とかしようとしていた。唐桑には3日ほどいた。

石巻中心部に向かう途中も取材を続けた。すれ違う人々に「頼むから、雄勝の惨状を伝えてくれ」と言われた。自分の撮った映像をこの人たちのために持ち帰らなければという責任感を強く感じた。当時、記者になってまだ数年で、誰のために伝えているのだろう、と迷いがあった栁澤さんは、その瞬間にそれが明確になったと話す。

ハードだけで街は守れるのか

震災直後から、失なわれた命を無駄にしない、生き延びた人をこれ以上苦しませないという思いを大切にしてきた。ハードで一人でも多くの人の命を守っていくことが絶対に必要、と当時は思っていた。しかし、今は本当にそれで良かったのかと確信が持てなくなってしまった、と言う。「街」ってなんだろう、ハードだけで完璧に守ることができる場所ではなく、住んでいる人それぞれの人生を含めて「街」となるのではないか、と。

2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震では孤立地域が非常に多かった。連絡が取れないため、孤立地域外では状況がわからない。インターネット上で視聴者の意見を集めるNHK「ニュースポスト」にはたくさんの意見が寄せられ、その多くが孤立に関する情報だった。NHKは、チームで情報提供者一人一人に取材し、孤立マップを作るなど後方支援を行った。 東日本大震災を経験した栁澤さんにとって、能登の地震は他人事とは思えず、何か行動に移したかった。小さなことを実行していくことは次に繋がっていく。それは震災を覚えていることにも共通している。知っておくだけでいざという時に役立つことはたくさんある、と栁澤さんは今感じている。

栁澤さんは、地震と津波のあと、左手に 数珠を着け、取材する先々で黙祷をしてから取材に入るようになった。それには理由がある。東日本大震災のあとの月命日、仕事がすごく忙しいとき、発災時刻に1分ほど黙祷したところ、頭の中と、気持ちが整理されていく感覚があった。津波が押し寄せてくる時のごう音、金属音、当時の記憶が一気に押し寄せてきたと言う。その感覚を忘れないために黙祷するようになったそうだ。7年後にカイロ支局に赴任し、戦争で多くの人が亡くなる現状を取材するように なってからも、月命日の黙祷を続けているという。

高さ9メートルの防潮堤に雄勝訪印神楽をモチーフに描かれた壁画「岩戸開き|The Opening」

【取材・文】千葉 楓真(仙台育英高校1年生)、村松 玲里(石巻高校1年生)

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