「回船問屋観慶丸」から名前をつけた。江戸にある米の3分の1が石巻から出ていたそうだ。米は北上川を使って集めていた。江戸に行くまで米を重しとし、帰りは瀬戸物を重しとして持ち帰り、その瀬戸物を副業として当時石巻で売っていた。
観慶丸の保存活動をしている松村善行さんに話を聞いた。「価値のあるものを壊していいのか?と思った。お金がかかり、個人規模では無理」文化財として保存することを市に申し入れたという。「もし観慶丸を潰したら、石巻に何が残るのか?観慶丸を石巻のPRのために、どのように利用したらいいのか?」皆に観慶丸に入ってもらおう、そのための空間を作ろう、と考えた。
松村さん曰く、「観慶丸の誇れるところは建物の造り」震災で大きな被害を受けたものの、多くのボランティアの協力により1か月で復興した。
松村さんは、「今後、観慶丸を色々と使ってほしい。もちろん市民以外の人にも」と言っていた。
取材・文・絵:加藤 光(石巻好文館高校2年生)