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広島土砂災害のつめあと

土石流に巻き込まれ車。津波に飲み込まれた車のようだ

 2014年8月20日、広島県で豪雨が降り、土砂災害がおきた。最多雨量は287㍉。人的被害は、死者74人、負傷者44人。建物の被害は、全壊、半壊あわせて200棟を超え、一部損壊、床上浸水、床下浸水を入れると3000棟近くになる。東日本大震災で国内外から多くのご支援をいただいた私たちになにかできることはないか、と話しあった結果、募金箱にためてきたお金を届けること、ど根性ひまわり5世※の種を届けること、現地を取材して紙面で伝えること、という意見がでた。2015年3月12日~14日、被災地を訪れた。
広島市の八木地区に住む信長由枝さんは家を失った被災者のひとりだ。災害がおきる8年前、信長さんは顔なじみのお年寄りに、「この山はいつか崩れるかもしれません。命を守る方法を教えてあげましょう。ここは坂だから雨が降ると土石流が流れます。流れる水の色を確認して、透明だったら大丈夫。色が濁ったら土砂が崩れる合図です。濁ったら早くて30分、遅くて1時間で山が崩れます」と言われた。このことを信長さんは8年間ずっと頭に入れていた。そして、雨が降るたび、水の色を確認していた。
 8月19日夕方、時間がたつにつれて、徐々に雨が強まっていった。信長さんは、「今晩は寝ないで水の色を確認しよう」と考えた。21時30分、22時30分、23時30分、午前0時30分の4回、1時間ごとに水の色を確認した。全部透明。1時30分の時は、「また透明だろう」と確認しなかった。ところが、2時30分すぎに もう一度確認したら、なんと水が濁っていた。
 山が崩れると思った信長さんは、近所に避難の呼びかけをした。時計は3時30分近くになっていた。ドロの匂いがすごかった。信長さんは、「もう崩れるかもしれない。私、今日が命日になるのかな」と覚悟をして、寝間着のポケットに保険証を入れた。遺体が自分だとすぐに分かるように準備したのだ。
 お隣さんに「信長さんの家は危ないからこっちにおいで」と言われ行く途中、ドッカーンとすごい音がして家が浮いた。上の方から屋根が流れてきて、ドロに埋まりながら隣の家に逃げた。信長さんは土砂が流れてくる方向と逆側が入り口になっている車庫の中で近所のみなさんと一晩を過ごした。車庫にいる間、何度もすごい音がして土石流が飛んで行った。 朝になって、流れてくるのが水だけになったとき、信長さんは「助かった」と思い、安心して立てなくなってしまったそうだ。その後、近くにある小学校に避難した。普段は歩いて10分で着くが、腰までドロに浸かっての移動だったため1時間もかかった。
 信長さんは土砂でめちゃくちゃになった家を直して住もうと考えていたが、家の場所が特別危険区域に入ってしまったため、家を解体せざるをえなくなってしまった。「1軒隣の家でも被災の仕方に差があるんですよ。道路側の家は丸ごとドロで流されて、その隣の家は、ドロ水は入ったけど無事。山は、いきなりは崩れないので、もし、大雨が降ったときは、必ず水の色を見て前触れを確認してください。そして、少しでも早く避難してください。」と、信長さんは語った。
※ど根性ひまわり5世:2011年夏、石巻市南浜町のガレキのなかから自力で生えてきたひまわりの5代目の種。
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