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東日本大震災被災地のみなさんに9つの質問 熊本県人吉市立大畑小学校から

熊本県人吉市大畑小学校のボランティア委員会から9つの質問が届いた。石巻市と人吉市は直線距離で約1200㌔。2012年、東日本大震災のあと、熊本県人吉市のボランティア団体「熊本もやいグループ絆」から寄付をいただいたご縁で、代表の大野鈴城さんが大畑小学校に新聞を届けてくれたのだ。

▪4年生から
[質問①] 飲みものや食べ物で困ったことはありましたか?
○食物アレルギーなので、支援物資のほとんどが食べられませんでした。野菜が不足していました。

[質問②] 道路やがけくずれなどは大丈夫でしょうか?
○道路は津波の水が引いた後もガレキだらけで、家にたどり着くまで1週間かかりました。
○電気、ガス、水道は復旧するまで1カ月以上かかりました。
○道路は大きなところは早めに自衛隊が処理してくれましたが、細い道は通れずにいたので、余震があるたび遠回りして逃げました。
○津波で道路がこわされ通れないところがたくさんありました。

▪5年生から
[質問③] 前の家に戻ることはできましたか?
○1週間後に戻れました。でも、電気もガスも水道もないので家に帰ったのは1カ月半後。
○津波で家が流されたので戻ることができませんでした。
○当時住んでいた家は海に近いところだったので、住んではダメなところになりました。今は海から遠いところに家を建て住んでいます。

[質問④] 今でもまだ不安はありますか?
○一昨年、高台の家へ引っ越しましたが、それまでは、夜に地震があっても逃げられるようにそれなりの服装で寝ていました。今はようやく安心して眠れます。今でも地震があるたびに不安があります。

[質問⑤] 避難所にいる方はどのぐらいですか?
○避難所は仮設住宅の完成とともに2011年11月までに全て閉鎖されました。

[質問⑥] 仮設住宅には今どのくらいの方が住まれていますか?
○5月31日現在、石巻市では593戸、1196人が仮設住宅に住んでいます。宮城県内では950戸、1918人です。(宮城県発表)

▪6年生から
[質問⑦] 実際に避難することになって「やっぱりこれが必要だな」や「あってよかったな」と思ったものは何ですか?
○せんべいとチョコレートは常にバッグに、ペットボトルの水、ウェットシート、ティッシュ、防寒服、毛布は車に、保険証、お薬手帳など。ガソリンは常に満タンに。でも、一番は命です!
○乳児のミルクやおむつ、防寒着、水などが必要でした。
○あってよかったものはラジオで、情報を得る唯一の手段でした。

[質問⑧] 石巻市が復興のために取り組んだことはなんですか?
○高盛土道路、避難道路(渋滞緩和のため)、運動公園内に防災拠点や備蓄倉庫などを整えています。集団移転のための宅地造成や復興公営住宅の建設など被災者が住むところを確保しました。

[質問⑨] 地震が起きたとき、津波が来ると知ったのは、地震後、どのぐらいたってからですか?
○地震が起きて10分くらいしてから、ラジオで「津波6㍍」と言っていました。以前、テレビで予想の第2波、第3波で3倍は来ると聞いていたので、6×3=18㍍の巨大な津波が来ると思いました。

【取材・文】酒井 圭佑(石巻小学校6年生)、松川 美桜(二俣小学校2年生)

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