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少年少女

 東日本大震災では、たくさんの尊い命や大切な家、思い出など、多くのものを失った。大人も子どもも、今を生きることに精一杯で、先の見えない不安、度重なる余震に怯えながら一日一日を乗り越えていたあの時。私は笑顔を忘れかけていた。震災翌年、「石巻日日こども新聞」が創刊された。楽しそうに活動している笑顔いっぱいのこども記者。私はそんな彼らに出会い、憧れを抱き、小学校6年生から記者としての活動を始めた。こども記者たちは、記事の中で震災のことに触れ子どもの目から見た石巻の今を伝えたい、多くの人に新聞を読んでもらうことで、あの日の思いを風化させたくない、この一心で記事を書いている。あの日、私は自宅で逃げ遅れ、翌日、熊本県防災消防航空隊のヘリコプターに救助された。聞こえてくるのは悲しい話ばかりで、毎日が辛く、気持ちが沈んでいた。そんな私が心から笑えるようになったのは、学校で友達と会えたとき、ボランティアさんとお話したとき、こども新聞の活動を始めたとき。災害が起きると、環境の変化に敏感で傷つきやすい子どもたちは、あの時の私のように不安を抱えて過ごす。楽しいことを楽しいと感じられる心や笑顔を取り戻すことが何より大切だ。石巻の子どもたちが元気に頑張っている姿を伝えるため、東日本大震災の記憶をを風化させないために頑張っていく。(ベル)

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