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石巻日日こども新聞「若宮丸探検隊」③

若宮丸の乗組員のために建てられた石碑について、松下さん(右奥)からお話を聞いた

禅昌寺の石碑エピソードを取材
 江戸時代、日本で初めて世界一周した千石船「若宮丸」の乗組員のために建てられた石碑が禅昌寺(石巻市)にある。住職の桂田文隆さんと石碑を発見し修理した松下文久さんにお話を聞いた。
 若宮丸は、米や材木を運ぶ千石船。当時、たくさんの千石船が石巻から江戸に向かった。この時代の船は帆船といって、帆を使い風を利用して海を渡っていた。「若宮丸のすごいところは、あれだけの嵐にあい、漂流しながらも陸地にたどりついたこと。乗組員はよく帰ってきたと思います。数奇な運命ですね」と桂田さん。
 今回、私たちが取材した石碑は、乗組員たちが漂流してから7年後に、船主の息子・米澤屋平之丞が7回忌のためにつくったものだ。文字は手彫りで、石巻でとれる井内石でつくられている。しかし13年後、乗組員のうち4人が帰ってきた。彼らが生きていたことがわかり、必要がなくなったため石碑は倒されてしまった。
 時代は変わって平成元年、松下さんが禅昌寺の参道で作業をしていたときに、橋のたもとにあった石碑を発見した。専門家にみてもらうと、若宮丸の石碑だということがわかった。
 禅昌寺は東日本大震災のとき、避難所になった。お寺に津波は来なかったので、たくさん人が避難してきた。「地震の影響で、建物のいろいろなところにひびが入り、古い石碑も次々と倒れました。震災を伝えていくことも、歴史を残していくこともとても大切。この震災を精一杯生き抜いた人たちのたくましさ、成功も残していきたいです」と桂田さんは話してくれた。そして、石巻日日こども新聞のこども記者のように、自分で調べて未来へ伝えていくことが大切、と励ましてくれた。
 次回は、乗組員たちが長く過ごしたロシアを取り上げる予定です!お楽しみに!

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