震災から6年半。宮城の農業は少しずつ力を取り戻している。新しい考えやITを活用した農業も生まれている。山元町から世界に日本のイチゴを発信する岩佐大輝さんを取材した。
「山元町は海と山が近いから、両方体験ができて楽しいですよ。今朝も、海でサーフィンをして、山のゲストハウスでコーヒーを飲みました!」と語るのは岩佐大輝さん。農業生産法人株式会社GRAの社長だ。岩佐さんのふるさと山元町は、東日本大震災で大きな被害を受けた。6年前、ここで農業を始めることで街に活気をとりもどそうと考えた。
「山元町といえばイチゴ。祖父もイチゴを作っていました」。岩佐さんは新しい方法でイチゴをつくろうと考えて、ITを農業に活用することにした。これまでの農業は、長年の経験と勘がないとうまくいかなかった。そこで、それらをデータ化し、温度や湿度、二酸化炭素の量などの環境をコンピューターで自動的に管理することで、経験が少ない若い人にも農業ができるように工夫した。
そして、「ミガキイチゴ」というブランドをつくった。ミガキイチゴは、ひとつひとつ丁寧に育てられ、1個1000円のものもある。大きくてダイヤみたいにキラキラしている。甘いとすっぱいが同時に味わえる特別なイチゴだ。
岩佐さんは、今、会社を6つ経営している。小さいころは剣道少年でパソコンが大好きだった。小学校4年生の時、どうしても自分のパソコンがほしかったので、新聞配達をしてお金を貯めて買った。6年生の時には、コンピューターのプログラマーになってソフトを作りたいと思ったという。
そして、24歳でIT関連の会社を起こす。まず一つ、夢を叶えた。それから、震災があって、農業の会社を作ることになった。社名の「GRA」はGeneral Reconstruction Associationの略で、元気がない地域をみんなで盛り上げていこうという意味だそう。インドとサウジアラビアにも農業の会社を作った。将来は、アメリカとロシアにもイチゴを輸出したい、と言う。「なんでも挑戦。失敗は悪いことではありません。でも、挑戦しないのは悪いことだと思います」岩佐さんの次の挑戦はなんだろう?これから、リンゴやサクランボも作ってみたいそうだ。理由を聞くと、「赤くてかわいいからね」と話してくれた。
【取材・文】小俣 渓志郎(大曲小学校4年生)・小俣 翔太郎(矢本第二中学校1年生)・西 宏夢(釜小学校4年生)・八重樫 蓮(石巻工業高校1年生)