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生まれ変わった小学校 二俣小学校三輪田分校の今

生まれ変わった小学校に子どもたちが帰ってきた

三輪田分校
 二俣小学校が始まったのは明治6年(1873年)。明治22年(1889年)に三輪田分校ができ、大正3年(1914年)、本
校が二俣尋常小学校に変わった。そのころ分校に通っていた阿部 睦雄さん、髙橋 次郎さん、藤平 新雄さんが思い出を話してくれた。
 1年生から3年生までが分校に通う。分校では、一人の先生が1年生から3年生までを教えていた。4年生になると体力もついてくるので、遠い本校に通う。自転車も自動車もないので歩いて通学だった。そのころ、戦争があったので、戦争のことを教える先生もいたそうだ。昭和40年(1965年)、本校と分校が一緒になり、三輪田分校は廃校した。

三輪田窯~ねん土ものがたり~
 三輪田分校は、平成15年、「三輪田窯」に生まれ変わった。三輪田窯では、上品山の岩や雄勝硯の材料を使っている。「上品山の岩とねん土の相性が好きです。この地域の生活では、川、海、空がいつも目に入ってきます。これは偶然できた青色なんです」と窯元の亀山英児さんが教えてくれた。
 ねん土は水と一緒にふるいを通す。下の方に沈んだら、どろどろの水を捨てて、素焼きの入れ物に入れる。光を当てていっぱいかわかすと水分が抜け、粘り気がでてちょうどよいそうだ。ねん土は乾かして使えるようになるまで半年かかる。ねん土の種類によって焼くときの温度がちがうが、一般的には1250度。三輪田窯では、1220度にならないぐらいで焼いているそうだ。

亀山英児さん
 亀山英児さんは小学校から高校まで神奈川にいた。ものを作る仕事に興味があって、21才のときに焼き物の練習を始めた。堤焼の針生乾馬先生に出会い、焼き物の勉強をしに宮城に来て、仙台で8年間勉強した。
 始めたころは、一つ作るのに1時間くらいかかった。作ってつぶして作ってつぶしてを毎日繰り返した。「昨日より、ちょっと進歩できるように、と意識して作っていました。3年目で1日50~60個くらい、8年目で1日100個くらい、今は1日に200個くらいつくれます」と英児さん。焼き物を作るときには、手が道具だ。それ以外の道具はどれも手作りで作っている。

かめかふぇ
「かめかふぇ」は移動式カフェ。亀山英児さんの奥さん、麻衣子さんが店長だ。オープンしたのは平成25年4月30日。三輪田窯十年の記念に「かめかふぇ号」はオープンした。「明治時代につくられた分校を小さくして、移動できたら、三輪田のことを伝えられるかなあ、と思い『古い物・手作りのもの』をテーマにしました」と英児さん。
 かめかふぇは「かわいい」と地元で大人気。水曜日は釣石神社(雄勝町)、金曜日は三輪田窯で、ショッピングモールなどでも日曜日に開店している。
 一番人気のメニューは「石巻ベーグル」と「かめかふぇブレンド」。「かめかふぇブレンドは3つの種類の豆を混ぜた体に優しいオリジナルコーヒーです」と麻衣子さんが教えてくれた。

亀山麻衣子さん
 亀山麻衣子さんが生まれたのは石巻市渡波。海があって山があって空気がおいしいところが好き。渡波は海が近いので、夏になると毎年海で泳いでいた。麻衣子さんが子どものころ住んでいたところは、山も近くて自然がいっぱいだった。
 河北町に来た理由は、英児さんのお母さんの生まれが河北だったから。英児さんが焼き物をつくる仕事のため、火を使うから、隣の家が離れていて、焼き物ができる、自然がいっぱいのところを探していて、三輪田分校に住むことにした。「三輪田は人が優しいし、自然がいっぱいで大好きです」と話してくれた。

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