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岐阜と石巻つながる 改めて見た宮城の被災地

岐阜と石巻をがつながりました!

今から125年前、岐阜では、濃尾地震という大地震があったが、時とともに震災のことを伝える人が減り地震に無関心になっている。そこで、岐阜の中学生に被災地の現状を知ってもらい、懸念される南海トラフ地震に向けて備え直すため、岐阜から16人の中学生が石巻市を訪れ、石巻の子どもたちとともに取材を行った。
主催した岐阜淡墨ロータリークラブ会長の伊藤彰浩さんは、「一人でも多くを助けるためにこの活動を企画しました」と言う。参加の目的は、被災地が今どのような状況にあり復興は進んでいるのかどうかを知るため、普段、生活していく上で大切なこと、自分にできることについて考えるためなどだ。 
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 昨年12月にオープンした女川町の新しい商店街「シーパルピア女川」。商店街のみなさんには、震災前、心構えや備えがあったのだろうか。コンポーズ ファクトリーの今野大樹さんは、「震災前から、避難所で使えるものづくりに取り組み、ダンボールで役に立つものを考えていました」と話す。避難所では、プライバシーを守る間仕切りや、靴入れ、棚などを提供した。
 震災後、変化はあったのだろうか。みなとまちセラミカ工房の阿部鳴美さんは、「震災を経験し、身元がすぐにわかるものや防災用品をわかりやすいところにおいておくようになりました」と話してくれた。
 「自分が殺してしまったんです」。そう話したのは、震災当時、女川中学校教諭だった阿部一彦さん。阿部さんは、津波で二人の教え子を失った。「私は社会科の教員です。『2000年前にも、1000年前にも大きな津波が来た。この地域は危険だ』と授業で言っていれば、と震災後に後悔しました」と言う。阿部さんの話を聞いた女川中学校の生徒たちは、1000年後の命を守るために3つの対策を考えた。
①互いに絆を深める
②高台へ避難できる町を作る③記録に残す。
 当時の中学生たちは、高校生になった今も、「いのちの石碑プロジェクト」として、津波が到達した地点に石碑を建てる取り組みを進めている。
 雄勝地区には、震災前、4300人が生活していた。しかし、現在はその4分の1しか住んでいない。
 雄勝では、室町時代から600年以上続く伝統工芸品「雄勝硯」が生産されている。その原料である「雄勝石」は、現在の東京駅の屋根瓦として使われている。当初、3万枚の雄勝石が使われる予定だったが、発送の準備中に津波の被害にあい、半分が使えなくなってしまった。そのため、スペイン産の石が一部入っているという。
 雄勝硯生産販売共同組合の高橋頼雄さんは、「次に東京駅の工事をする機会には、全部雄勝石で作りたいです」と話していた。高橋さんは、雄勝硯を若い人たちに受け継いで、これから先の600年もずっと続いてほしいと願っている。
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 参加した岐阜の中学生からは、「予想していたよりも復興は進んでいるものの、まだ途中。それにもかかわらず、笑顔が多く、人の強さを感じました」などの意見が出た。「石巻と岐阜で人の考え方がどう違うのか知りたいと思いました。大人の目線ではわからない中学生の視点を大切にしたいと思います」と石巻南ロータリークラブの瀬崎和雄さんは言う。
 街を失うほどの災害の恐怖を乗り越えて、助け合い生きる人々を知ることにより、「自分たちが恵まれていることに改めて気づきました」と話す参加者もいた。地震についての考えが改まり、貴重な体験となったに違いない。

【取材・文】
■岐阜
 平湯 和佳菜、髙野 夢衣斗 (本巣中学校2年生)
 新井 詩野、髙田 修太郎
 (巣南中学校2年生)
 渡邉 愛花、松浦 日向葵
 (真正中学校2年生)
 瀬 瑠々花、藤井 玲美
 (北方中学校2年生)
 斉藤 遥、早瀬 英和
 (穂北中学校2年生)
 南谷 さとり、大澤 華音
 加藤 悠
 (穂積中学校2年生)
 溝口 耕祐、橋本 空
 (糸貫中学校2年生)
 髙橋 麗帆
 (梶尾中学校2年生)
■石巻
 木村 ひな子
 (桜坂高校2年生)
 齋藤 小枝
 (湊中学校1年生)
 酒井 理子
 (門脇中学校2年生)
 丹野 里奈
 (山下小学校5年生)
 西 彩奈
 (青葉中学校1年生)

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