伊藤典克さんは震災当時、宮城県警察本部の災害対策室に所属し、仙台市の一番町付近で仕事をしていた。地震が起きたあと、走って本部に戻った。宮城県沖地震が来ると予想はされていたが、まさか本部勤務3年間の最後の年に来るとは思っていなくて、「今思うと油断していました」と話す。
本部の仕事は、県内24カ所の警察署をまとめることである。伊藤さんは被災状況を把握し、救助を待つ人々に警察官を派遣する仕事をした。1年後、石巻警察署警備課に異動。被害がひどかった南浜町や女川町、東松島市野蒜などに行き、行方不明者の捜索をした。震災のつめあとがひどく残っており、ハエや蚊が大量発生、ガレキで車のタイヤがパンクしたりしたが、行方不明者の家族はかけがえのない人を探しているので、連日連夜、一生懸命、捜索に取り組んだという。その後、ほかの警察署へ異動し3年間働いたあと、石巻に戻り、現在は留置管理課に勤務している。
留置所は、社会で悪いことをして逮捕された人が入る場所で、取調べを受けるところだ。留置管理課は、その人たちの食事、風呂、寝泊りなどの生活面を管理する仕事。一般的なイメージの「刑事さん」のように、逮捕したり取調べをしたりと表に出る機会はないけれど、事件の陰の部分を支える大切な仕事だ。「人間は色々な内面を持っていて、悪いことをしても人間。留置人の管理はとても大事なことです」と伊藤さんは言う。
伊藤さんは、大学を卒業する時、どんな仕事につこうかと考えた。その頃、日本はバブルだったので、会社に就職すれば給料が高かった。警察官という仕事は、「きつい、きたない、きびしい」の3Kといわれており、選ぶ人は少なかったそうだ。「でも、さっそうと走る白バイ隊員の姿に憧れ、警察官になりました」と伊藤さん。交通違反者を取り締まってみたいと思ったそうだ。白バイ隊員にはなっていないが、「まだ、あきらめていませんよ。途中でやめるのではなく、一度警察官になったからには、あきらめずに最後まで続けていきたいです!」。これからの石巻には、1人でも留置所に入る人が少なくなってほしいと話していた。