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たくさんの支援をありがとう|あの日の門脇中学校を振り返る

現在の体育館

 東日本大震災のとき、私たちは小学生だった。今、私たちが通う門脇中学校は、その時、避難所になった。一体、どんな状況だったのだろうか。当時を知る先生たちに取材した。

 地震が起きたとき、門脇中学校は卒業式が終わり、バレー部の生徒だけが学校に残っていた。避難してきた人は約2000人。校舎の窓ガラスは割れ、校舎と校舎のつなぎ目にヒビが入るなどの被害があった。そのヒビは今も残っている。体育館は新しかったので被害はなかった。校舎は階段にも人が寝ていて足の踏み場もなく、体育館では横になるスペースもない。「毛布も暖房も電気もなかったので、津波で濡れていた人は、カーテンや暗幕、紙で暖をとりました。それでも足はとにかく冷えました」と伊藤さん。
 学校にいた先生たちは20人程。当時の様子について、少人数で支援物資の分配をしたこと、水も止まりトイレがすぐ詰まってしまったこと、体育館の床を土足で歩くため、胃腸炎など感染症になる人もいて、薬がなく大変だったことなどを語ってくれた。「2日目の夜中に最初の物資が届いて、ほっとしました」と中村さん。先生たちが家に帰ることができたのは5日後だった。
 震災後、門脇中学校の校舎を一部借りていた門脇小学校は、仮設校舎ができるまで1つの教室にたくさんの生徒が入って勉強していた。「小学生は、トイレやプールの高さが違うから苦労したと思います。避難訓練などの行事を合同で行ったとき、小学生の真剣な姿を見て、中学生の意識も高まりました」と、伊藤さん。阿部さんは「小学生が中学生をみて見習うこともたくさんあったと思います。小学生の元気な声が聞こえて、私たちも癒されました」と話してくれた。東日本大震災を経験して、防災意識が高まる一方、子どもたちの心のケアにはより注意をはらうようになったという。
 門脇中学校は、2016年1月18日まで耐震改修工事のため、石巻中学校の仮設校舎を借りていた。校舎と校庭の整備も終わり、今は本校舎に戻っている。多くのみなさんにご支援いただいたことへの感謝を、生徒たちに忘れないでほしいと、先生たちは願っている。

【取材・文・写真】酒井理子(門脇中学校2年生)・村松鈴音(門脇中学校3年生)
【協力】中村弘典さん、阿部崇さん、伊藤香織さん、木村有子さん、菅原愛子さん

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